世代間格差を最適化する構文

世代間格差を最適化する構文

年金問題などに見られる世代間の不公平感や、高齢者の自動車事故などもあり、現役世代とリタイア世代の間の対立が深刻化しています。

放っておけば治るというものでもなさそうなので、言霊で解決していきたいと思います。

それぞれの視点

現役世代もリタイア世代も、それぞれの視点で意見があります。

年金の負担が厳しい。昔のように年功序列で給与があがる時代ではないし、払っても自分がもらえるかどうかわからないのは不公平だ。
今は年金保険料の負担額が多いが、私的な扶養負担は減っている。親が年金で暮らしてくれれば、子供が親を扶養しなくてよくなるよ。

どちらも正論です。

どちらの言い分も正しい

どちらの主張も、それぞれ自分が属する側の意見として至極もっともです。正しい事しか言っていません。

とはいえ、こういう場合、理屈で相手をねじ伏せようとしても反発を招くだけだし、無理やり納得しようとしてもどこかギスギスした感じが残ります。

政治に期待したいところですが、政治家は選挙に当選するために数も多く投票率の高い高齢者よりの政策を打ち出すことしか出来ません。シルバー民主主義と言われてしまう所以です。

そうだ、構文書こう

このような、それぞれの言い分がぶつかり合ってどうにもまとまらなそうな問題の解決は、五次元から見て最適化するのが最適です(これを難しい言葉で五次元の視点を獲得と言います)。

…と思い立ったので、JR東海で京都に旅立ったりはしませんが、構文を作成することにしました。こういう問題こそ、ロゴストロンの出番ということです。

書けた構文がこちらです。ロゴスタディ・ベーシックの次の講座で推奨する守破離の守の文法に準拠しています。書き方の説明をしたいのですが、私が説明すると誤解を招く恐れがあり削除依頼が来るので何も言いません。

世代間格差を最適化する構文

(目的)

この構文は、公の構文である
公の構文は、すべての意志を尊重した上で、問題を最適に解消するものである

以下の構文は、世代間格差の問題の最適化を目的としている

(問題にかかわる現象の最適化)

世代間の情緒の鬱滞は吹き送られた
世代間の情緒の鬱滞は最適化された

世代間の意志の鬱滞は吹き送られた
世代間の意志の鬱滞は最適化された

世代間の認識の相違は吹き送られた
世代間の認識の相違は最適化された

世代間の価値観の相違は吹き送られた
世代間の価値観の相違は最適化された

世代間の情報格差は吹き送られた
世代間の情報格差は最適化された

世代間の人口比率の不均衡は吹き送られた
世代間の人口比率は最適化された

世代間の富の分配の不均衡は吹き送られた
世代間の富の分配は最適化された

世代間に影響を与える第四階層の霊的問題の混乱は吹き送られた
世代間に影響を与える第四階層は最適化された

世代間の相互理解は最適におこなわれた
世代間の相互扶助は最適におこなわれた

(結果)

世代間格差の問題は最適化された
この問題にかかわる人々の意識は最適化された
この問題にかかわる人々の意識進化は最適に行われた

構文を書いてみた感想

はじめて上記のような文法で書いてみたわけですが、たとえば下記の部分は、

世代間の情緒の鬱滞は吹き送られた
世代間の情緒の鬱滞は最適化された

これまでだったら、次のような書き方をしていたと思います。

私は世代間の情緒の鬱滞を認めた
私は世代間の情緒の鬱滞を吹き送った
私は世代間の情緒の鬱滞を最適化した

どちらもやりたいことは同じなのですが、書き方を変えてみると以前の書き方は、一行ごとに「私」と言わなければならないのが英語みたいでやかましい感じがしてきました。

主語に「私」を明記することで意志を明確化する効果があると思いますが、その反面、いちいち「私」「私」と押しつけがましい感じもします。いいことしてるんだけど調子に乗ってるというか、どこか自惚れているようで、天狗に憑依されてるかもしれません。

こんな話し方をする日本人はいないことを考えると、あまりよくないような気もしてきます。

それだったら、

世代間の情緒の鬱滞は吹き送られた
世代間の情緒の鬱滞は最適化された

このような書き方で綴ったほうが、どこにも「引っかかり」がないので、スッと流れます(※個人の感想なので再現性には個人差があります)。