白川学館入門講義の第7回を学ばせていただきました。
入門講義は全12回の講義を1年以内に終了しなければなりません。
最初は1年もかかることはないだろうと思っていましたが、いざテキストを読んでみるとなかなか難しく、毎月1講義を終了させるのも困難な状況になってしまいました。
今、年末年始を使ってどうにか遅れを取り戻そうとしているところです。
第7回講義の内容は、「神道の霊魂観」です。
霊と魂は異なる
神道の霊魂観で重要になるのは、和の成功法則ザ・ワープやロゴシスト認定講座で学んでいる人にとっては常識ですが、霊と魂は異なるという点です。
このブログに何度も出てくる五階層で見てみても、
- 神
- 霊
- 魂
- 情
- 体
霊は第四階層、魂は第三階層と明らかに異なっているのがわかります。
白川では、
神…「思い出すもの」
霊…「祓うもの」
魂…「磨くもの」
として教えています。磨くことが出来るのは魂だけなのです。
日本語で「私の魂」という言い方があるように(普通は「私の霊」という言い方はしません。「私の神」とも言いません)、魂までは自我の領域に含まれるからです。
魂には個性があり、私たちの性格に影響を与えています。魂と性格の関係については下記の記事も参考にしてみてください。
私から公への転換
宮中祭祀を司り、全国の神社を統括する立場であった神祇伯としての白川の教えは、日本の国体を守るための教えであり、国策的意味があります。
魂をしっかりと鎮魂し、魂の本来の働きを最大限高めることで、それぞれの魂が自らの使命を全うすることが出来るようになります。
公と聞くと、「ボランティアをしなければ…」「それにはまず自分がある程度は満たされなければ…」と考えてしまうかもしれません。
しかし、出家して宗教家になれという教えではないのですから、鎮魂するときはしっかり鎮魂して、座を立ったらそれぞれの仕事を通じてその人なりの社会貢献は出来るはずなのです。
曼荼羅
曼荼羅の素晴らしいところは、社会貢献はひとつのやり方でなくても良いところです。
話が得意な人は言霊を多くの人にお伝えできるし、ロゴストロン大型本体機(CFB35KHZ)を導入できるような経済的に整っている人は自宅からCFB35KHZで発信して自宅だけでなく近隣も含めてイヤシロチ化させることが出来ます。
それらが何もない人であっても、自らが鎮魂して、その体感を日常に持ち帰ることが出来ます。
このように、その人に合ったやり方で社会に貢献することが出来るのが曼荼羅の世界です。
…と、ここまで書いたこととあまり関連していませんが、下記は私が提出した感想になります。
10月から入門講義を受講させていただいておりますが、2か月くらいはテキストを読み進めることも辛く、動画もきちんと観れない状態が続いておりました。
それが、自分で結界を打ってお祓い、鎮魂を淡々と続けるうちに、気が付いたら霊に対する恐怖もなくなり、テキストも入ってくるようになり、こうして感想を送信させていただいております。
現在のところ、霊的問題で最も深刻なのは、「支配」「分離」「観念」「洗脳」「憑依」の霊的混乱のサイクルと、お金による支配ではないかと考えています。
固定観念やお金の支配を抜けなければ空は掴めないと思うからです。
お金の支配を抜けないと、「個」か「公」かという二項対立にはまってしまい、「個を犠牲にして公に尽くす」ような考え方しか出来なくなります。
「まず個人の願望を満たし、それが満たされたら公に向かう」という考え方は一見正しいように見えますが、見事に二項対立にはまっているため階層を繰り上がることが出来ず、空は掴めないだろうと思います。
また、学ぶにつれて知らされるのは、白川は宗教ではないという点です。
神道の教えを掲げて戦争を行ったために、神道の教えが戦争の原因とみなされてしまい、戦後、神道の本当の教えが封印されてしまったとのことですが、戦勝国の都合の良いように作り替えられてしまった価値観しか知らない戦後生まれの世代にとって、白川の学びは必須ではないかと思います。